+ 日本人の一大事【佐藤愛子】
- 祖父母世代と近くで暮らしたかったなぁと思った。
こんなおばあちゃんが近くに居て欲しいなぁ。- 親だって実はそれほど多くの事を知っているわけではない。
自分が知ってる全ては更に狭く、たかだかここ30年の経験・善悪だ。
賢者は歴史に学ぶって言うもんな。
「佐藤愛子から現代人へ、歯に衣着せぬ一言」
- そうそう!と超同意が1/3、そうなのねと素直に聞けることが1/3、そりゃ違うよと意見したくなる事が1/3。
「そうそう!」と思う事は、既にみんなが「そうそう!」と言ってる事かな。2004年の本だけど、2004年にだって斬新ではなかったと思う。
- たとえば子どもの自主性を大事にする!と言って、3つ4つの子どもに親がお伺いを立てるのは変なんじゃないかとか。何故殺してはいけないのかが分からない子どもに対する苛立ちとか。
今となっては寧ろ、万人が「そうそう!」と思える事が、何故そうならないかの方が問題だし、気になるのよね。- それこそ、愛子さんの言う「日本人をダメにしようとしている勢力が働いているに違いない」というのは大いに同意。
- と同時に。
以前「他人を見下す若者たち【速水 敏彦】 」を読んだ時も思ったけど、大学教授や執筆家などその道の専門家でさえ、時代に付いて行くというのは大変みたいだ。自分の産まれた時代から自由で居るということはとても難しいみたいだ。
- 佐藤愛子でさえ、現代を理屈で評価する割には自分の世代にはたっぷりの思い入れと愛由来の偏見を以ってアンフェアな評価をしているように思う。
- 世の中は変わっていくから、昔の良い風習と悪い風習が忘れ去られて、新しく良い常識と悪い常識が発生する。
- だけど年齢がいくと、新しい良い常識にはついていけない。そのくせ昔の良い風習が通用しなくなっているのは感じる。新しい悪い常識は嫌でも目につく。
例えば携帯電話を、パソコンを「今のものにはついていけない。電話で十分」と言っちゃえる人には、それがあって当たり前、それがないと生きていけない今の時代を昔と比べて、意味のあるジャッジをすることは出来ないと思う。
「昔は良かった」「今の若いものは」というのはそういう事なのだろう。- 私は20代の頃から「今の若いものは」が口をついて出ていたが、それはあまり口に出す言葉じゃないのかも知れないなと思った。
経験則でしか言えない事もあるから「だってそういうものだもの」という言い方も分かる。でも彰かに理解不足な事も多いもの。- だけどそれだって、言ってもらわなければ気付かない事で。
そんなこんなを含めて、今理解出来なくてもそのうち理解出来る日が来るかも知れない事も含めて、とても納得出来る残りの半分も含めて、やっぱり上の世代の人の言うことは大事なんだよな。
あー、おばあちゃんたちともっと一緒に居ればよかったなぁ。
色んな世代の人が交流する場というのは大事だよね。