+ 死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人【真下周】 | around the secret

+ 死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人【真下周】

 母親殺し・姉妹殺人事件の犯人、山地悠紀夫を通して発達障害者の支援というテーマで書かれつつも、筆者自身も述べているように山地が本当に発達障害なのか環境による人格障害なのかがそもそも定かではない。彼の生育環境は、それほど特殊だ。

 だからこの本が発達障害に絞らずに
 「貧困・無縁・環境など様々な原因で、生きること・社会参加が難しい情況になっている人間を、孤立させてはいけない」という話であれば、とても納得いくのだけど。


 山地悠紀夫が母親を殺したのは16歳の時だ。

 母子家庭で貧しいのに買物依存の母親。借金でガスや水道さえ止まる日々。山地の母は未成年の被告が新聞配達をして稼いで貯めた金まで使い込み、出来たばかりの彼女に無言電話を続け。しかも口下手で、被告に対する謝罪どころか十分な説明や言い訳さえ禄にしなかったという。


 ただ貧しいのではない。圧倒的な孤立と、母による裏切りの日々。


 この環境で育ったら、多くの人は普通には生きれないのではないだろうか・・・・・・


 寧ろ少年院の精神科医が、何度も何度も「母親殺しに対する反省」を被告に求める事に違和感があった。
 確かに普通なら「ああ、ここは反省してるって言うべきだろうな」と分かるだろう。しかし変な言い方だが人一人殺す気持ちと罪深さに比べれば、反省したフリで得られるメリットなんて軽すぎると思うのはノーマルな反応ではないだろうか?
 「反省したフリをすれば周囲の心証もよく、罪が軽くなるだろう。じゃあ反省したフリをしよう」「取りあえず反省したポーズを取っておくべきなんだろうな」なんて口先のウソで言い逃れしたい程度の覚悟で、人を殺せる方が恐ろしい。


 空気の読めなさや判断力のなさは、自分や周囲の人間や世界に対する未練や執着のなさと、特殊な育ちによる経験の少なさでもあるのだろう。
 上司に掌を返されたらダメになるのは、誰でもそうだろう。キレやすいのも「ちょっと我慢してみよう」と思える程の成功体験や信じる心がないなら当然だ。
 弱者ほど、守ってくれる人が居ない人間ほど、何かをされたら即やり返さなければいけないだろう。待てるのは恵まれた者、信じることが出来る者の特権だ。

 周囲に感心を持たない子供時代・・・。でも、教師や同級生に苛めを受けていたなら、周囲への感心を表さないのは寧ろ正常ではないか?


 発達障害とのリンクについては随所に「?」を感じながらも、社会や家族の目に見えない被害者が歪みや鬱屈を抱えて、ついに加害者になってしまう・・・という事について、考えさせられた。

 被害者にとっては関係のない事だとは思うものの・・・・・・。