around the secret -7ページ目

+ 目覚めよと人魚は歌う【星野 智幸】

 最初はキツかったなぁ・・・。

 「あたしの事全部分かって」と、ねっとりと纏わり付く女性のような面倒くささしか感じなかった。

  主人公「糖子」がベットの上で元夫「北枕蜜夫」の幻影と戯れるモノローグから始まり、「あな(糖子が夢の中でアナルと呼ぶから、その「穴」なのだろう)」「密生」「日曜人(ヒヨヒト)」「猛人(タケリート)」
 ・・・・・・登場人物の名前だけで暑苦しくて、甘ったるくてノックアウトだ。
 でも中盤から鬱陶しさがなくなって、その不思議な世界を味わえるようになってくる。

 この文体に慣れたのかな?この世界が好きになりつつあるのかな?と思いつつ読み返すと、単純に最初の数10ページとそれ以後で作風が違うような気がする。何だか不思議。

 全体を通すと割と好きなカンジ。マイケル・オンダーチェを読んだ時のような、「そもそもの異国」を感じた。

+ 俺俺【星野智幸】

 面白かった。
 
 まず俺俺詐欺で別人に成りすましてしまったのがキッカケで、「俺」の境界が崩れてしまい、「俺」が「俺」でなくなる。

 知らないオバチャンが母親として現れ、名前が変わり、いつの間にか兄弟が出来ていたりする。違和感なく。俺の真髄なんて取り替え可能なものなのかも知れない。

 次にそんな「イデアの俺」というべき「俺」が増殖してくる。
 「俺」同士は、見れば分かる。言葉がなくても、通じ合える。
 俺同士の集会は最高に気分良く、語らなくても伝わる気持ち、ユニゾンする発言、パーマンのコピーロボットのように何もかもが分かり合える。
 自分と同じ「俺」を集めて「俺山」を作ればそれはパラダイスになるかも知れない。

 細菌が増殖する様を思い浮かべてみる。爆発的に増殖したら、その後は往々にして自滅だ。
 物語もその通りで。

 20代凡人男子の描写がリアルだ。最近本を読んでいて一番嬉しいのは、リアルタイムの即物的なモヤモヤが共感出来た時で、だから国産の現代小説が割とスキ。

 ハッとした描写はいくつもあって、一番辛かったのは、折角世界中が「俺」になってパラダイスが築ける筈なのに、「俺は自分より下の人間を見つけ出して生け贄する事で安心するような人間関係しか経験してこなかった」から俺相手にさえ、それしか出来ないのだ・・・・・と結局は潰し合いになってしまう所で、なんだかありがちで、とても切なくなった。

 身勝手で閉鎖的な人間に用意される地獄というのは、こんな感じかも知れない。

+ 今年もあの夢を見る季節が来た。

 冬になると必ず見る夢がある。


 分厚い冬の掛け布団にくるまりながら、、フツーに出勤する夢だ。

 通勤路はリアルで、スーツや学生服の満員電車の中でもその格好、布団重いなぁなんて思いながら会社へ向かう。


 あんまり繰り返し見るので、前世の記憶か何かかも知れない。

 同じ夢を繰り返し見る、7人の美女美青年との出会いがあるといいな。

+ 天使の囀り【貴志祐介】

 寄生虫の話。ナマモノ好きの私には、チと辛かった。


 黒い家やクリムゾンの迷宮の時も思ったけど、専門知識の解説が少し無駄に感じるし、リアルではほぼ使われないであろうルビがハナにつく。品質を落とさず、この本のボリュームの何割かは落とせるんじゃないかとか。


 たまたま詳しい業界の話になると「うわ、それちょっと不適切ちゃうん。そもそもストーリー関係ないんやから黙っといた方がエエで」と思ってしまう所もあったりで、そうでなくても書けば書くほど年月が経過した時に古さが際立つ場所でもある。


 それに箒木蓬生にしても、どうしてコレ系の作家さんのヒロインは、こうなっちゃうんだろう。男が求める「理想のオンナ知性派バージョン」ってのはこんな感じなのかな。


 ・・・・・・と言いつつ、とっても面白かったです(^_^)b


 脳に侵入して、宿主の恐怖のスイッチと快感スイッチをすり替えてしまう寄生虫という設定が何とも怖くて、宿主はそれぞれが一番恐れている事を実行して死んでしまう。

 うわ~。イヤだなイヤだなあせる


 私はホームを超ッ早で通り抜けていく快速電車が怖い。頑張れば乗り越えれそうなフェンスの低い高層階が怖い。つい巻き込まれてしまいそうな近距離で見る大きな機械が怖い。

 つまり、つい「死んじゃおっかな」と取り返しのつかない行動に出かねない、自分の激情やウッカリが怖いのだ。

 うわ~。考えるのやめとこあせる

+ ホームレス中学生【田村裕】

 一回読んでみたいと思っていた本が回ってきたので。
 「住宅街の公園に中学生ホームレスが住み続けられる事が大阪クォリティ」という評価があって、印象に残ってた。
 そもそもホームレスなんて高速の高架下や森のように広い公園や繁華街でしか見た事がない。
 普通の中学生が、公園でホームレス。そのまま登校。それが想像がつかなくて。
 読んでみて、ホームレスをしていた期間が1ヶ月前後と短いことと、夏休み中だった事で少し納得がいった。
 これが比較的本当の話で、ゴーストライターでもないとしたら、田村は素直で、頭が良くって、コミュニケーション力が高い子だったんだなぁと思う。
 些細な躓きで不登校になったり引きこもったりする子供も居て、私はそちら側の人種だ。不謹慎だが田村ならホームレスとか、大抵の事は大丈夫だろうなぁと。それは生まれつきの能力の高さや、性格や、母親の存在や、生活圏の人々の暖かさもあり。
 冒頭の少年時代、寂しくて仕事中の母に会いに来てしまった田村少年に、同じパートのおばちゃんが優しくしてくれた。母はそんな人間関係を築いてくれていたのだ・・・とあったが、そんな関係にも助けられたのだろう。
 しかしここまで慕われる母親というのは、何なんだろう。
 こればっかりは相性もあるし、受け手(子供側)の能力にもよる。一概に慕われる母親=努力した母親で、そうでない母親が自堕落だったとは言えない所が母親業の難しさ。結果がすぐ出るものでもないだろうし。
 私ならこの年齢で父親の事を許せる自信ないし、姉に足を踏まれて喧嘩になった時「姉がそんなに怒るということは、」なんて瞬時には理解出来ない。頭の良さが羨ましい(笑)
 
 余談だが映画版の小池徹平がホームレスしてたら、3日と経たずお持ち帰られると思う。

+ うさこちゃんときゃらめる

 呼び名がミッフィーからうさこちゃんに戻ってる!
 ということで、ふと手に取った「うさこちゃんときゃらめる」。ちょっと衝撃だった。
 
 「シロクマちゃんのホットケーキ」的に、ミッフィーが田中義剛牧場に突撃する話かと思ったら、うさこちゃん、いきなりお店にあったキャラメルをポケットに。
「万引きや盗みという言い方はちょっと強すぎる。
うさこちゃんは、お店にあったものを持ってきてしまっただけ@ブルーナさん」
 確かに常習性のある万引きや、確信犯、愉快犯の万引きと、まだ善悪の区別がついていない幼児の「お店のものが欲しくなって、ついポケットに入れてしまった」は、同じではないわな。

 うさこちゃんが幾つなのか分からないけど、もしかすると責められるべきはふわ奥さんな年齢かも知れないし。

 うさこちゃんは子供のアイドルだから色々と行動に制限があって、たとえばおばあちゃんの死を扱った時もそれなりに問題になった。

 メラニーという黒うさちゃんが出てくる話もあり、これは人種問題を扱っているのだと言うが、「白いうさちゃんも、黒いうさちゃんも居て、仲良しだよ。お互いを認め合ってるよ」程度のやわらか~~~~いもの。
 それでも子供に対しては「色が違っても一緒」という良い刷り込み?にはなるだろうし、親にしても万が一あるかも知れない差別の現場で「メラニーちゃんもお友達だよね」と子供を窘める材料にもなると思う。
 それに比べると今回のキャラメル事件は何だか直接的だ。
 教育的な観点からはどうでも良いが、児童文学としてのタメというか、ふんわりとした想像の余地を残して欲しかったと少し残念。

 今までのブルーナさんなら、「欲しい欲しいと思ったけど、やっぱり我慢しました」になっていたのではないだろうか。
 逆に今作キャラメル風にメラニーちゃんを描くなら、メラニーちゃんが差別されている生々しい現場から話が始まってしまうのではないだろうか・・・って流石にそれはないか。
 うさこちゃんがこちら側に降りてきて、子供が乗り越えていかないといけない事をうさこちゃんも体験し、「大丈夫だよ。うさこちゃんもそうなんだよ」という立場になるとすれば、そのうち「うさこちゃんと いじめ」「ふわふわさんと ふわおくさんの りこん」「うさこちゃんの おじゅけん」なんか出てしまったら嫌だな・・・って流石にそれはないか(笑)
 さておき、次作は「うさこちゃん、サンリオていそする」かしらん。

+ 火車【宮部みゆき】

 1998年の本なので今更なのだが、「他人に成り代わり」というテーマに惹かれた。

 「その人の名前が、戸籍が、実はその人じゃなかった。じゃぁ一体あれは誰?どこまでが本当?」というのは、究極のフェイク、究極のどんでん返しじゃないだろうか?とワクワクしながら読んでみる。


 ・・・・・・面白いとは思うけど、やっぱり期待外れだったなぁ。

 このキャラクターをこういう描き方する意味が分からないとか、このエピソードをここに持って来る意味が分からないとか、この表現の必然性が分からないなぁとか、ああそうかこれは単に推理小説として読めばいいのかな?でも推理小説にしては推理らしい推理がないゾとかの「あれ?」がどんどん溜まるのだ。


 確かに駄作ではない。だけど高評価や絶賛には少し違和感を感じる。
 普通のライトノベルに過ぎないんじゃ?というのが、相変わらずの感想。


 試しにAmazonのレビューを見てみると、評価が分かれていて、やっぱそうだよなぁと安心してみたり。

 なんなんだろ、この良いと思う人と、良さが分からないと思う人の差って。

+ IN【桐野夏生】

 OUTやグロテスクなどが井の頭公園バラバラ死体遺棄事や東電OL殺人事件などの事件をベースに書かれているのはすぐに分かるのだが、このINも自らのダブル不倫をベースに書いているとは知らなかった。

 自分の事だから刃が鈍くなるからだろうか?非日常で起こる事故や事件と違って、起伏が緩やかで日常にベッタリ張り付いている分、まだ作者の中で揺れ動いている話を描いたからだろうか?


 私が好きなOUTやグロテスクや魂萌え!は、「誰もが持つ心の襞」発、「誰もが到達出来ないであろう禁区への一線超え」着だ。

 誰もが陥る情緒不安定時、急カーブで「このままアクセルを踏み込んだらどうなるだろう」と想像し、やはり自分の身可愛さに普通はカーブを曲がってしまう。これを実際にアクセルを踏み込んでしまったらどうなるか。


ガードレールを突き破り、車は宙に浮き、無重力を感じ、同乗者に詫びようとするが声が出ず、車が何回転かし・・・と容赦なく描写するのがこれらの桐野作品。

 柔らかな頬 や、INは、あまり身近に感じれない主人公が、あまり身近でない思考回路で、細かい情緒や心情の変化を大事にしながら、ありふれた日常を送るのだ。・・・・・・ぶっちゃけ不倫心理は疎か、恋愛心理さえ本で読む程は興味がない私としては、ちょっと詰まらなかった。


 書籍タイトルであり、最終章のタイトルであるINに辿り着くまでの淫→隠→因→陰→姻 という章タイトルは良いなとは思ったが、それぞれの章がそれぞれのタイトルにベストマッチ!それしかない!という内容でもなかったような気もする。


 とはいえ、桐野作品だからそれでも面白かったのだけど。

+ 乙女なげやり【三浦しをん】

 美容院でたまたま開いた雑誌に、面白い連載があった。
 広辞苑の編集をしている男性二人の話で、適度にインテリで分かりやすく、キャラが美味しく腐女子サービスが行き渡っている。
 気に入って単行本を探してみる。
 最初の日常エッセイは面白いけど「あれ?こんな人だっけ?」という感じ。面白いけど普通の日常エッセイだ。
 だけど途中からのめくるめく腐女子語りは骨身に染みた(笑)。
 しをんさんの妄想語りが、着眼点から好み拘りから、畳みかけ方からフィニッシュに至るまで10年来の友達とそっくりで、まさかアイツがなんて、プロフィールを確認し直してしまう。これは全国共通の腐女子語りなのだろうな。

 これだけ突っ込んだ妄想話が出来るのも、作家さんの特権だな。それが社会的に認められてて、それで飯も食ってる人だから、周囲も安心して乗れるのではないだろうか。普通のOLの私は、周囲の目が怖くてそんな妄想話出来ない。

 次はエッセイではなく小説の方を読んでみようと思う。
 清水玲子 萩尾望都 山岸涼子と、懐かしい少女漫画家の名前が出て来た。
 清水玲子は当時絵柄と話が好きになれなかったけど、今読むとどうなんだろう。
 萩尾望都で最後に読んだのは「残酷な神が支配する」。
 山岸涼子は傑作集しか読んだ事がない。
 こっちもまた読み直してみようかしら。

 「乙女なげやり」という響きは「むすめふさほせ」となんか似てる。

+ 女系家族【山崎豊子】

 女系継承が何台も続いた船場の老舗木綿問屋。

 主人公三人姉妹の母親は若くして脳梗塞で突然死。勿論遺言も残さず、財産や店のあれこれも娘に伝えていない。

 姉妹の父は冷や飯喰らいの婿養子で、娘からも軽く見られている。この父が大番頭に遺言を託して亡くなった所から、話が始まる。



 大筋は遺産相続にあたっての化し合い。出戻りの長女には第一子のプライドがあり(年子であろうと双子であろうと、竈の下の灰まで長男・・・女系の場合は長女が総浚えするのが当たり前の時代だ)、唯一結婚をしている次女は今更総領風を吹かす出戻りの長女が煙たい。三女はマイペースな感じだけど一番現代っ子で抜け目なくちゃっかりさん。何より山崎豊子の描く「まだるい感じの女性」はダークホース率が高いので要注意だ。


 三代に渡って店を仕切ってきた遺言執行者の大番頭は店の売り上げや財産をチョロまかそうとするし、嫡子を産む気満々の父の愛人が現れるし。


 長女には懇意の青年実業家が知恵を付け、三女には経営火の車の分家の叔母がバックアップ。陰気だけど一番まともかな~と思った次女も不妊のせいか、出産間近の愛人に対する仕打ちが狂気のごとく。



 生前は日陰者で軽い扱いを受けていた父親の手のひらの上で皆が踊らされる。

 たまたま生き残った部外者(婿養子)の遺言ひとつで老舗の暖簾の在り方や一族の財産分与が決められてしまうあたり、「こりゃぁ父親が変な気起こさなくても、乗っ取り放題だよ」と感じた。

 家族がバラバラだから、残った者勝ちになるんだな。それならおっかさん、もっと緊張感持っておくべきだったよ。愛人と子供に財産を・・・なんて最たるものじゃないか。

 敗因は女系家族云々じゃなくて、おっかさんが遺言残さなかった事だよ~、それ含めて娘達に家を継ぐだけの教育をしなかった事だよ~。


 そこは描かれなかっただけかも知れないが、アラサー三姉妹の日常が、お稽古ごとに行ったり、舞台を見に行ったりで「少女」の枠を出ていないのだ。経営や、せめて婿養子の手綱の裁き方や従業員の使い方が全く分からないようでは困る筈なのだが、それはそーゆー時代だったのだろうか。



 女系家族は男系家族と違い、働き手のスペックを選べるから、商家などには良いと聞く。
 男系家族は直系の男の子の出来が悪ければそこまでだ。女系だと優秀な婿を選べる。

 それ自体はアリだと思うのだが、読んでいて感じたのは、この時代の男系家族の跡取りは財産と権力と、仕事上でのポジションを与えられるのに対して、女系家族の跡取りが背負うのは財産と権力だけで、仕事はノータッチ、経営には携わらず、蝶よ花よで暮らしなさいという事なのかな・・・?

 それは人としてどうとかいうより経営として弱いだろうな・・・働かないというのは贅沢なようで、実権を明け渡す事になる。やっぱり世の中そこそこのポジションから上は、働いた人間が一番強いと思う。