+ 恋文の技術【森見登美彦】
太陽の塔、四畳半、夜は短しと今までのヒット作が自身の青春時代の引き出しからの執筆なら、そろそろネタが尽きてきたのかも知れない。んーーーでもこの人の青春モノは面白いから既出キャラで話を広げてシリーズ化しないかな~。
バラ色のキャンパスライフに憧れながらも、情けなくて無様で無駄な悪あがきと悪友との悪ふざけを日常に詰め込む主人公達。
本当に輝かしくて可能性に満ちているのは、小洒落たキャンパスライフの方ではなく、そんな冴えない主人公だというのは作者も十分承知の上だろう。
諸星あたるの居ない面堂終太郎の青春なんて淋しいものだしな。
情けない情けないと言いつつも、近作ではその誇らしさが滲み出ているのが少し嫌味だ(笑)
+ 南極(人)【京極夏彦】
ギャグ漫画と同種の面白さを小説で実現しようとするとどうなるか・・・というコンセプトだったのかな。
「ボッカーン」「バッコーン」のギャグマンガ世界を、そのまま状況説明つけつつ文章化しても面白い筈がない。
ギャグマンガのノベライズ化は大昔からそれなりに成功した形で在るのに、わざわざ「ほら面白くないでしょ」という方向からこれを執筆したのは、ラノベ畑の編集者にまた何か言われた?出版社に対するあてつけ?とか色々想像してしまう。
逆にコレで本が出せるということ、しかも話ごとに紙質や装丁が違ったり栞が4本も入ってたり原価の高そうな本を、超豪華ゲストと共に出せるということが京極夏彦の凄さだなぁ・・・・・・という、そんな本。
+ 死ねばいいのに【京極夏彦】
「身許っても、別にないンすよ身許。肩書きねえつうか。俺、仕事してねーし。してねえっつうか、出来ねえつうか。コンビニとかでバイトしてもクビになるっつーか」
「俺、学歴もねーし無職だし、あんまり常識とかもねーすけど、一応、ヘタレなんもんで、怒られるの嫌いっすから、礼儀っつーか、お断りだけはするっすよ。」
常識の無さは、盲点の再問いかけへ。
無責任さは、何も守らなくて良い者特有の公正さに。
この口調で各種ティピカルな現代人の憑物を落としてゆくサマに、私脳内で完璧なヒーローになっていた主人公。だけど最後の話を読んだ後ではなんだか普通の男の子に見えた。
彼は寧ろ「アサミの死」という知恵の実をモロに喰らった未開の人だったのではと。
意図して憑物を落としていたわけではなく、飲み込んだ知恵の実の力を持て余して足掻いていただけ。憑物を落としていたのは彼からはみ出たアサミの死の余波に思える。
巻取式のメジャーを巻き取るようにくるくるっと収束する最後の1ページが気持ちよかった。面白かった。
毎回の落とされ役が、踊らされすぎ感・喋りすぎ感があるのが唯一残念な所。
+ バクマン【大場つぐみ 小畑健】
ベテランがちゃんと作ってる安心感と同時に、そのベテランが作った筈の主人公に違和感を感じる。これは実は屈折した話なのだろうか。
↓この辺は良いとして
元々絵画が上手かったとは謂え、ペンを握って数ヶ月でプロに通用する絵。。。いやはや羨ましい。
良家のお嬢が品よく声優を目指す。。。ま、それはおいておいて。
下チチのラインまでピッチリ見える中学の制服はセクハラだろ・・・・・・・こんな所でも人気取らなきゃいけないのは大変だな。
純情で喋ることも出来ないような恋愛は、まだ存在するのだな。この辺はファンタジー。
- ↓この辺がね・・・シビアだなぁって。
描き始めて数ヶ月で担当がつくほどの才能のある主人公達だが、描く動機が、いまいち分からない。主人公は亡き叔父が漫画家なので漫画家DNAがあるのだろう。でも彼女と結婚したいから・・・というのは何だか違うような。亜豆某と結婚したい一心で描いた漫画を読者は読まされるのか(笑)
秋人の動機もリアルながら俗っぽい。
漫画が大好きだから・・・という前提は、漫画が娯楽である以上多くの人に当てはまる事で、やっぱりしっくり来ない。
これがボクシング漫画なら、この違和感はなかった。
「金儲けの為に(女にモテたいから 以下略)絵を描いてます」
「金儲けの為に音楽作ってます」
「金儲けの為にコックやってます」
「金儲けの為にフィギュアスケートやってます」
絵や音楽はちょい嫌だが、上記はそれほど嫌悪感ない。
- 漫画家漫画にトキワ荘だとかまんが道を求めてしまうのは、漫画は思想だから。ビジネスにしてくれるなと、ブシドーにも似た「漫画道」、漫画の神に仕える聖職者で居て欲しいのだろうな。そう思ってるのって私だけかな?
そこへいくと新妻君が可愛くて仕方ない。
- 本人が一生安泰に過ごせるかは置いといて、こういう「好きで好きでたまらない」子が描いた作品を読んでいると思いたいのだ。
彼こそが聖職者(笑)
+ トラウマ【江原啓之】
恋愛、人間関係、外見、SEXなど63パターンに渡りトラウマについて「それは前世で**だったから(稀に現世での問題も)、こうなのです」と解説する。
大抵は「今苦しんでいる状況は、現世で魂を磨く為に自らが組んだ学びのカリキュラムなのです」で要約出来る。
そう言われて前向きに立ち向かおうと踏み出せる人が居るのなら、それで良いのだろうけど。
エハラーの多くは2~40代女性、基本真面目で育ちも悪くなく、努力もする。だけど思うほど報われなかったり、期待しただけの幸せが得られなかったり、少し要領が悪かったりで、ちょっとだけ物足りないのが気になって仕方ない。そんな人が多いように思う。
それらの「努力しても上手くいかない悩み」は、自己と周囲との分析がずれているとか、無い物ねだりをしているから(これも周囲の分析が出来ていないからだ)。それは前世や守護霊や、江原さんにしか見えないものの対極で、多くの場合は世の中に目を向けて、諦めるだとか受け入れるという決断をして解決するしかないことで。
悪い言葉を閉め出したり有り難うを連発したり、魂のレベルを上げる事で、臨時収入があったり恋人が出来たり嫌な上司が転勤になったり不妊が治ったりする事は有り得ないのに。
そもそも褒美のための行動なら「魂のレベル」なんて言葉は違うんじゃないか。万が一、有り得たとしてもそれは「神様攻略スキル」だろう。
本当に魂のレベルの高い人は、非難されても茨の道でも自分の信じた道を往くものだと思う。
多分、私がスピな人が苦手なのはその辺の攻略臭なんだろうな。
波長の法則が本当なら、悪人は悪人で連んでくれるわけで、不幸は起こらない筈。たまたま善人の心の隙間が悪人と波長が合ったというなら、ヤだね~そんな意地悪で陰険なスピリチュアルワールド。例外の方が良く起こって、そちらで苦しむ人が多いなら、そっちに照準を合わせた方が良いのに。
因果云々も、そんな見た事のない前世や来世を信じる方がずっと危険だ。ハンディキャップを持って産まれた人や理不尽な不幸に遭った人に因果応報なんか説いてしまったり、「それはあなたがあなたの魂を磨く為に選んだカリキュラム」ってのは、もしも口に出せたとしても、もの凄く時と場合と相手を選ばなければいけないのではないだろうか?
「たまたま運が悪くてこうなった」と、世の中の不完全さや不公平さを受け止める方がずっと健全で、ひずみや副作用が少ないと思うのだが。前世やら何か、少なくとも自分の目に見えないものに理由を求めるのは、自分に対する冒涜にもなりはしないか。
多分これはこの本に対してではなく、私が時々出会う変なエハラーに対する愚痴も入ってますけどね。
オーラの泉が終わって随分経つが、私は江原さんに何を求めてたんだろうな。
+ 死の棘【島尾 敏雄】
桐野夏生「IN」は、この私小説「死の棘」の作者の浮気相手を探ってゆく物語だった。その繋がりで読んでみたのだけど。
長年に渡り浮気していた夫と、それを知った妻と、二人の子供。その傷が修復されるまでの夫婦の戦いと絆を描いたもの。
お互い傷つけあい、醜さ全開で泥仕合。子供はそんな父親を指して「ホラうちのお父さんキチガイでしょ」と友達に自慢したり、現代ではまぁ見られないほどのガチのぶつかり合い。
夫のズルさも甘えもリアル、妻の諄さも愚鈍さもリアルで、読んでてもう腹が立ってくる程で。
妻は時々ヒステリーの発作に見舞われ、夫を滅茶苦茶に責める。外出時の浮気を心配し、仕事先へさえもついてゆく。妻のヒステリーで夫はキチガイのようになり、箪笥に頭を打ち付けたり、電車に飛び込もうとしたり。
今までの女性関係を妻に追求され、警察に尋問されているような錯覚に陥り「手錠をしないでください!」と叫び出すくだり、そもそもがこの人達はちょっとアレな人達なんじゃないか、実はこういうプレイなんじゃないかと感じたり。
そして「あれ?」と思う。
なんだかんだ言って、この夫婦、別れないよなと。
昔の話だから、嫁の方が逃げるのは難しいのだろう。でもこれだけ追い詰められたら、夫、逃げるよな普通・・・・・・と。
あーーそれが愛だって話なのかなぁ?でもそれを愛というなら、最初に何年も奥さんに冷や飯喰らわせ花嫁道具を売らせて浮気してた無神経さが余計気持ち悪いわ。それもこれも時代背景が違うからなのかなぁ・・・・・・
と思いつつ、結局3/4しか読めませんでした。こんな気持ちで読むのも失礼かもと。
2011年の感想。
・・・・・・↑結局最後まで読んでしまいました。
んーーなんだかなぁ。やっぱりよく分からないまま。延々と夫婦喧嘩とノイローゼとヒステリーの発作の繰り返しが続く。思い出しては嫉妬してヒステリー、想像に嫉妬してヒステリー、ヒステリーを起こされて神経衰弱、自殺騒動、予定調和な喧嘩プレイ。何時間かおきの、うふふあはは。
1.ある程度のお金があって
2.ある程度のヒマがあって
3.子供より色恋優先 という人の道楽にしか思えなくて、真面目に読むのがバカらしくなって。
自分が道ならぬ恋をしたり、そんな相手を本気で好きになったら、この本の一行一行に共感出来るのだろうか。
この小説って誰がどのように読むのだろう。裏切られてもキチガイになっても飽くまで夫の世界で「それでも夫好き好き」とあがき続ける嫁ミホの姿に、何らかのピュアだとか菩薩だとかそんなものを見るべきなんだろうか。
変形して変質して毒物になってるような愛から元の愛の大きさを脳内復元して、マニアックな角度から見た恋愛小説と受け止めるべきなんだろうか。
短絡的な人間なので、分からない。
+ 厭な小説【京極夏彦】
京極作品、流石の安心感。
嫌じゃなくて厭という字を使うあたりも、蜻蛉(蜉蝣)をKAGEROUと記したアノ人とは違い、必然で。
言葉の一つ一つをしっかり受け止めても、決して肩すかしを食らわない気持ちの良さ。
全編「厭な小説」。「嫌」ではなく「厭」としかいいようがないシチュエーションを一話一話丁寧に取りそろえ(笑)
ハヤシライスの話がもう怖くてね。この彼女は何なんだろう、精神病者なのか、化け物なのか。京極だから後者だろうな。この話に限らず、話の7割くらいはリアリティがある。だから浮いた部分が怖い。ハヤシライスの彼女も大筋では居そうだしね。
最後の「厭な小説」。
大嫌いな上司と新幹線で2人きり。その時間が無限ループするよりも(だって何万年何億年もループしない保証もない)、「何よりも厭な事が、この先お前に起こる」って・・・・・・・何なんだろう。少し離して同じ文章があるし、やっぱりループなのかな。
全ての話は最終章の主人公の周囲で殆ど漏れなく起きているというのに、これまた全ての話に出て来る嫌われ者の「クズ上司」だけは、怪奇現象からも仲間外れにされているかのように暢気な厭っぷりで、何だか可笑しい。
頭の大きな、山羊のような目の気持ち悪い子供が出て来たり、仏壇を開けるとご先祖が「みつしりと」入っていたり、想像を絶する地獄のような厭さの中、この上司だけが動かぬ日常だ。
意外とラスボスはこの上司かもよ(笑)
+ おちおち死んでられまへん 【福本清三 小田豊二】
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時代劇の最後10分。「かまわん やっちまえ!」のあのシーンで必ず見る顔があった。
もの凄く分かりやすい悪役ヅラ。ずっと前から気になっていて「こないだ斬られてたあの人!また斬られる!」と画面を指さしたものだった。
ある時、その人が海外でThe KIRAREYAKUというほど有名で、本も出しているのを知る。
- 稀~にプチ自慢?にも取れる自己卑下がハナにつくが(これは実際に文章を書いた小田さんかな?)、いい人だなぁとしみじみ。これまた絵に描いたようなオヤジギャグにも心が暖まり。
月並みだけど、「目立たない事を地道に真面目にやり遂げる事の大事さ」を体現したような、良い生き方だ。- 時代の革命児だとかビジネス新伝説だとか地球の夜明けだとか、斬新なアイデアで一山当てた人、短期戦の右肩上がりが持て囃される時代、もう一度こういう人に注目して欲しいなぁ・・・・・・。
それはそうと香住出身とのこと。香住といえば2,3年に1度はカニを食べに行く。
- とても失礼だが、「中学を出た子供は家を出て自ら口を減らすのが親孝行。職がなくて親戚の言いなりで京都に出てきた。自分が俳優の仕事をしていると知ったのは、随分後だった」というのが頷ける、寒くて少し淋しい町。
豊かで、「役者になる!」「有名人になる!」という夢と気負いを以て業界入りした人では、こうはいかないのかも知れない。