around the secret -6ページ目

+ 四畳半神話体系(アニメ)


 いくら本文中で「茄子のような顔」と書かれてあろうと、飄々とした神懸かり的キャラから勝手に仙人系美形だろうと想像していた樋口師匠のビジュアルがとても残念だった。茄子。しかも特大。

 まぁそれは単に私の妄想が挫かれたというだけの話で、アニメとしては大成功だと思う。原作を好きな人が、作ったんだろうな。



 ただひたすら早口で内省する「私」の声優も上手かったし、最終話の1回前、連続四畳半の無間地獄を一人放浪する所もとても良く。


 腐女子的には、これは主人公と小津との出会いの物語にしか見えないのだ。小日向さん?あれは小津と主人公に添えられる香辛料でしょ。


 小津の妖怪のような目が、演出的に上手かったなぁ。妖怪に見えていた未知の男の顔が、友達になってみれば普通の少年の顔だったなんて良くある話で。

+ 魍魎の匣(アニメver)

 良かったなぁ・・・。

 ちょっと女性向けな作画だったけど、京極作品の危うさ、ツジツマが、魍魎の領域が、無駄なくバランスよく13話に纏まっていると思う。

 一番光ってたのは、関口君じゃなかろうか。

 狂言回しというか、情緒不安定で想像力が豊かな故に、物語に同調して犯人に取り付かれたように叫び、狂う。

もうね、最高。

+ インシテミル【米澤 穂信】

 初めての作家さんのミステリを読む時は、謎解き以前に作者の力量を推し量るのに手を取られてしまう。

 細部まで読み込んだのに、「実はそこまで考えてませんでした~」という噴飯モノのオチに出会った負の経験の為せる技。


 最初は主人公が「突出した能力もなく、受け身でボヘー、でも何故か運が良く、謎の美少女とご縁があってメリット受けまくるであろう」典型的なラノベ主人公(男)に見え、キャラが立つ前の応募者全員の志望動機や、暗鬼館という名称や、阿藤先生、伊藤先生、宇藤先生というチャチ臭さも手伝い、半ば消化試合で読み進めたが。


 途中で主人公が隠してた爪を出し始める辺りからは、電車乗り過ごすほど面白かった。ちゃんとミステリとして読み応えある。
 
 感情と私情だけで隙あらば事態を悪化させようとする若菜のウザさもミステリものにはお約束のキャラで、真実よりも安心を選ぶ渕さんの気持ちも共感出来る。


 ラストは犯人が主人公の性格を最初から計算に入れていた所にトキメキつつも、みんな生きてて欲しかったなぁ。譬えジエンドの後の部分だったとしても、安易な因果応報よりも背負って生き続ける方がズッシリくるから。


 それにしても何だろう、このハードカバーの可愛らしい装丁は。

+ 完全な遊戯【石原慎太郎】

例の名言。

「世の中には変態ってやっぱりいる。気の毒な人で、DNAが狂っていて。やっぱりアブノーマル。幼い子の強姦(ごうかん)がストーリーとして描かれているものは、何の役にも立たないし、(百)害あって一利もない」


 そんな事を言った人が書いたこの本は、主人公と主人公の友達が知的障害の女性を拉致して殴って強姦→別の友達2人も加えまた強姦→今で言うソープに売り飛ばそうとするも失敗→始末に困って崖から突き落とし「この遊びは安く上がったな」でエンド。


 女性の立場から言うと、ハサミ持って書いたヤツのチ○コ狩りにお出かけしたくなるような作品だけど、作品については別にもう良いよそれで。性欲ってある程度歪んだものだし、誰にだってフェチはあるだろうし、エロあってこその人類。フェチあってこその文化。


 ロリ作品によって性犯罪が増えるのか減るのかってのも微妙なトコだし、実際ネットや雑誌で安易にオカズが手に入るようになってから強姦事件は減ってるようだし、寧ろ満ち足りちゃって少子化になる方が問題じゃないかと思うんだけど、それはさておき。


 自分がサカリを過ぎて枯れてしまったからって、聖人か仙人気取りで若いモノを規制するなと。
 この胸くそ悪い変態小説を書いてた頃の自分を思い出せと。


 変態がDNA由来のものなら本人の責任ではないのだし、そういった人が"やっぱり居る"なら「アブノーマル」だとか「百害あって一利なし」と蔑んで切り捨てるのではなく、その人達と社会との折り合いをつける方法を考えるべきなんじゃないかなぁ。


 それは正しく、この胸くそ悪い変態小説を書いてたアナタに相応しい、貴い使命なんではないだろうか。

+ 続獄窓記【山本譲司】

 こちらは仮釈放から、出所後の障害者シェルターを立ち上げるという目標を持つまでの過程を。


 学歴も地位もコミュ力も良い嫁も、全て手に入れている完璧な人でもこんなに落ち込むのだ、腐るのだと、少し安心したり、それでも何とか前向きになろうとする様を見習わないとなと思ったり。



 介護専門学校の入試に筆者が連続で不合格になったという辺りが印象的だった。

 エリートの筆者が、専門学校の入試で落ちる筈がないのだ。


 前科があったという所で落とされたのかも知れない。だけど、「あなたにはもっと大きな役目があるでしょ」という運命の大きな流れがあったような気がしてならない。運命論は好きじゃないが、逮捕された辺りから導かれたように見えるのだ。


 内容とは別の所で語彙の豊富さや、普段使わないような難解で的確な熟語に感心させられる。さすが素頭がいいなと。
 だけどこれほどの人でも「役者不足」と「役不足」は間違ってしまうものなんだな。あれだけ田中芳樹が言ったにも拘わらず・・・だ(笑)
 というか、その辺は編集者の仕事でもあるような。

+ 獄窓記【山本譲司】

 人に勧められて「累犯障害者」を読んだのが始まりだが、実は(歌手の)山本譲二と安部譲二と、この作者山本譲司がごっちゃになっていて、最初は混乱しながら読んでいた。


 この本は作者が政治家だった頃に遡り、逮捕されてから、獄中生活の話。

 その事件の事も知らなかったし、政治に疎いので、経緯が読めて良かった。そういうことだったのね。


 まっすぐな人で、奥さんや周囲の人にも恵まれて、能力が高くて。そんな人は監獄にあっても汚されないんだなぁ、周囲を変えてゆけるんだなぁと思った。



 ・・・・・・しかし今をときめくポプラ社。。
 なんか複雑だな。老舗なのは分かってるんだけど、最近の動きってどう見ても胡散臭すぎる。

+ ナニカアル【桐野夏生】

 「刈草の黄なるまた

 紅の畠野の花々

 疲労と成熟と

 なにかある・・・

 私はいま生きてゐる。」


 このタイトルは良かったな~。


 林芙美子の生前の書簡が出て来た・・・・・・という設定。


 書簡に書かれているのは愛人の事、本当は血が繋がっている子供の事、従軍ペン部隊として戦地に赴いた時の事。


 「ああ、そうだったのかも知れないな・・・」「違ったら芙美子が化けてでるぞ(笑)」などと思いながら、とうに故人となった林芙美子の作品を一冊余分に読めたような、妙な気分。


 時々「ああ、これは桐野夏生が思う、林芙美子像だ」と感じる時もあり、「これはちょっと桐野色ではないか」と思う時もあり。


 色に例えるなら、芙美子は朱色、桐野は紅色。それでも2人は同じ系統の人なんだろうな。賢くて、自信があって、奔放な、戦う女性。


  従軍ペン部隊時代、憲兵に媚びず我を通す野生の芙美子が、それでも釈迦の掌の上の孫悟空のように政府に操られ、乗せられているのが分かる場所があり、何だか悲しかった。

+ アルカロイド・ラヴァーズ 【星野智幸】

 ・・・・・・無理だ。

 少年は荒野をめざす じゃないけど、デムパな主人公達が、罪だ罰だ辛い苦しい痛い死ぬ殺すの世界を作り上げる。


 多分とても繊細で難しいテーマが書かれている良い本なんだろうな。でも無理。ごめん。

 主人公達が「罰として堕とされた地」とは私が何とか仲良くやろうとしている「この地」の事で、なんてゆーか自分が喜んでホテルのコース料理を食べてる隣で「こんな不味いものを食べるなんて私は不幸だ。ああ不味い、こんなものを食べるくらいなら死にたい」「そうね分かるわ。あなたと私って可哀想」とやられているような気になるのだ。過剰反応してるのは承知の上。

 そういえば私は普通の生活が出来ている人が、自分で勝手にややこしくなって苦しんだりしてるのが苦手だ。



 以下自分的防備録でネタバレ。

 自分が楽園パラディソから追放された神だと思っている咲子。

 この世での自分にリアリティが持てず、戸籍でも見てみようと思った所、市役所の窓口対応をしてくれた、沢山の印鑑を持つ(名字に対してあやふやな存在である)男と同棲→結婚。
 咲子は男に毒を盛り続ける。ある時男の作った毒入り飯を2人で食べ、普段からの毒で弱っていた男はほぼ寝たきりに。

 そして男の寝タバコで火災発生。その寝タバコは半ば故意で、咲子も実はそのカタストロフを待っていた。このシーンから話は始まり。


 その後、咲子は美術館で死者の木を見る。その場に居た波長の合う女性に「自分と自分の夫を引き取って、自分の夫が死んだら自分を死者の木のように土に埋めて」 と頼む。

 咲子の夫はチ○コから綿帽子を噴出しつつ、文字通り空に種を撒き散らしながら消えてしまう。


 彼女が拘り続け、本の半分は費やしているパラディソの描写に嫌悪感が沸きこそすれ、魅力も必然性も妥当性も感じられないのも一因だ。9人の男女がガラスの森で何度も再生しながら、ガラスで身体を傷つけながら恋とセックスに明け暮れる。愛おしさが相俟れば、生まれ変わった元恋人を姿煮にして骨までしゃぶり尽くしたりもする。ちなみに神々の人物描写は、頑張って読み取ってみたがコレといってキャラが立っているわけでも、行動に動機があるわけでもない。


 この本のテーマであろう「植物の生と恋愛」がパラディソで、現実が「罰を受けて人間になってしまった者の生と恋愛」なのだろうけど。


 恋人が持って来たベンジャミンの鉢に、「これはパラディソ仲間の生首じゃないか!何でこんなもの私によこすんだ」と主人公が怒り出す辺りで、もうダメ。。。

 だけどもしかして10年くらい経って読んで滂沱の涙を流すのかも知れない。目から鱗になるのかも知れない、咲子的な人を愛する私になっているかも知れない。「2010年に読んだ時そう思った」というのでも残しておけば、その時にとても面白いのだ。

+ リアル鬼ごっこ【山田 悠介】


 ひとりかくれんぼだとか、リアル脱出ゲームだとか、ごっちゃになってて借りてしまう。

 そうなんだ2001年の本なんだ。ついこないだだと思ってたのに。


 これだけ評価の低い本も珍しい。

 しかも、ケータイ小説ユーザーからも「文法がおかしい!日本語がなってない!設定が滅茶苦茶!」など避難囂々。

 そっかー。ぁσ人達レニм○耐ぇらяёTょヵゝッT=ヵゝーなんて思いながらも、日本語の崩壊にも底があるのねと、じんわりと心温まった。



 「時は30世紀」「医学技術や科学技術、機械技術の全てが今とは全く想像がつかない程発達し」。移動手段がタクシーや新幹線。木造アパートに、ジャージ。昭和そのものの病院の設備。


 これって文芸社 (自費出版の出版社)の仕込みだよね?
 作家志望の若い子に
「この文章力、創作力でも、自費出版すれば超ヒットして、三浦春馬主演で映画化して貰える!さぁレッツ自費出版!」
 って。


 作家志望の子は別に良いよ。いみじくも作家志望なら騙される方が悪いし。

 でもこんな汚物を社会にバラ撒かないで欲しいな。宣伝文句に騙されて、初読書がこの本だったなんて子供がいたら、可哀想過ぎて目も当てられない。


 吠えるのも今更だが、責められるべきは作者以上に、出版社や、宣伝に名前を貸した著名人だよね?

 その人たちの事、忘れないわ(笑)

+ 累犯障害者【山本譲司】

 人としての道徳的な価値を、生き様だとか性格だとか魂だとか精神論を唱える人間が居るが、結局は与えられた入れ物の差も大きいんじゃないかと思うことがある。

 顔形の作りがどうだとか、家庭環境に恵まれなかったとかいう話なら、精神論で乗り切れるだろう。
 だけど脳は?聴覚や視覚などの重要なデバイスは?


 事故で脳を損傷して性格が変わっただとか、加齢によって怒りっぽくなっただとか言うじゃないか。それはその人の魂の、人格の責任なのか?もし生まれつきそんな脳が、入れ物が与えられていたとすれば?善悪ではなく、健常者の大多数用に作られた法律・社会・制度から、はみ出してしまう人は、居るのではないだろうか?その人達に大多数の制度を当てはめてもいいのだろうか?


 この本は、犯罪を犯してしまう障害者について書かれてある。


 善悪が理解出来ないから犯罪を犯してしまう。取調べが成り立たず冤罪を受け入れてしまう。人として当然の楽しみ、欲求に対する受け皿が、障害者には全く与えられない社会故の犯罪というのもある。


 知的障害者の子供を虐待する非道な父親も、実は軽度の知的障害者であったというように、絶対悪だと思ったものが実はそうでなかったという話も意外と多いのかも知れない。

 本人の責任でなく、犯罪と見なされる結果に陥りがちにな人たちも居るのだという事で、勿論被害者にはなりたくないが、差別・区別もしたくないと強く思う。そんな事もあるのだと理解していたい。本の最後では筆者が具体的にどういう活動をしているかの紹介もある。
 
 良い本だった。