+ Colorful【森絵都】
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「ぼくは、ひとを殺したんだね」
- 自分視点の始まり方・・・・・・券売所のような、職安のような場所で周りを見回したり、少しふらつきながら歩く視界に引き込まれる。
- 最近の作品だからか「生まれ変わるのもなんだか面倒くさいってゆーか」とか、自殺の動機が母親の不倫や初恋の人の援助交際だとか、リアルとゆーかセキララだ。どの世代の子が見に来るのだろう。
プラプラの棒読みが、キノのエルメスみたいだ。ヘタウマじゃないが「棒読み」というジャンルってあるのだろうか。
父子で釣りに行って、中学生らしく「僕は人間なんて嫌いだ」と嘯く主人公に「父さんも人間は嫌いだな」としみじみと返すシーンが面白い。
プラプラの「フライドチキンと肉まんだけであんなに幸せそうに笑いあったり、よくわからないけど正直ちょっと羨ましいです。明日があるって良いものですね」がちょっと可哀想で可愛い。
美化されずに、寧ろデフォルメされた女性キャラも容赦ない。
ビッチの方は絵に描いたように中身のないフワフワしたビッチ、ブスでオタクっぽい(むしろ障害者が入ってそうな)方は最後の見せ場の笑い声までゾっとするほど気持ち悪くてイライラさせられた。吃り方といい宮崎あおい、演技上手いなぁと思った。
それにしても主人公の真みたいに顔立ちが整ってて、一芸あって、普通体型でも苛められるものなのだろうか。
+ その時がきた【佐藤愛子】
- その時→女性が女性でなくなる時。
- それは医学的な「女性でなくなる時」(閉経)ではなく、男性から「女」として扱われなくなる時。
- 女は何とかして「その時」を超えなければいけない。
ある者は死を選び、ある者は美容整形の常習になり、ある者はその時に直面しないで済むよう10年前から年寄として生きる。
「その時」との戦いは、なんだかとても壮絶なようだ。
その足掻きを滑稽で無意味だと捉える主人公は、45才。飾り気のない美形美容整形外科医。
まぁその鉄壁の主人公が自分の娘と同じ相手・・・30代の外科医に恋をした所から、老いを恐れる普通の女に転落してしまう・・・・・・という話。
多分私も「その時」を過去に飛び越えたのだろう。だけど衝撃は「その時」じゃなかった。
女でなくなる自分に恐れを感じたり絶望したりするのではなく、自分は自分なのに、まるで女としての価値がなくなれば自分という人間の価値さえなくなりそうな世界に絶望した。今もその絶望のような怒りのようなものは燻っている。
だからこの本は少し斜に構えて読んでしまった。「女」は結果であり属性であり一面でしかなく、しがみ付くものではないと私は思ってる。
・・・・・・あ!恋愛してない女性(前半の主人公)は私サイドで、恋愛をしている女性は後半の主人公なわけか。
自分がいくら「10代みたいにピチピチな体じゃなくなっても私は私」と言い張っても、恋愛は相手ありきだもんな。すっかり忘れてた
はぁ
+ ムカついたから、やっただけ 【日垣 隆】
- 自分の大切な人が、ある日突然、誰かに殺される。
その時、加害者が未成年だったというだけで、遺族は「あなたの子供が未成年者に殺されました」という情報以外は得られなくなる。
手を下したのが誰かは疎か、被害者がいつ、何処でどうやって殺されたのかさえ知ることが出来ない。
取調べの方法も意図して犯人を逃がしているかの如く、隙や口裏を合わせる余裕がたっぷりあって。
なんだか誰が考えても変で、時代にもそぐわない事ばかりなのに、未だにこんな現状なのは「身内が少年犯罪で帰らぬ人になる」のがとてもレアな事で、それゆえ放置されてしまっているだけの理由なのだろうか?
この犯人の母親の隠蔽に向ける行動力と信念は、なんなんだろう。
それにしても、女子高生コンクリの犯人にしても、この犯人にしても、繁殖力だけは高い。世の中って意外と捨てたものなのかも知れない。
235ページから
各地の少年事件を取材しながら、いつも私の頭の片隅にあったのはポーカーのことでした。
(ルールの説明中略)
ここでやや俗っぽいルールですが、何にでもなれるジョーカーを混ぜることにしましょう。このジョーカーは残念ながら、少年犯罪に見立てるときは「男であること」の比喩になります。障害では七対一、障害致死なら百対三くらいの男女格差があるからです。
アルコールを飲んでいると、3や4ではなく、絵札になります。シンナーや麻薬や動物虐待や殺傷用ナイフ所持は、文句なくエースです。
個室の溜まり場がある、夜中に家からいつでも抜け出せる、バイクか車がある、暇をもてあましている、親が甘い、携帯電話をもっている、セックスが日常化している、というような要素も絵札と考えていいでしょう。アクションTVゲームがやめられないとか、禁止されているバイトで四万円以上稼いでいるとか、そのために部活をやめたとか。父親との会話がない、といったような要素は、7から9くらい、まぁまぁ高い数字です。
超暇で、その原因が高校中退+無目的状態にあるとしたら、これはもう立派なエースでしょう。この状態ですとアルコールや深夜の溜まり場、援助交際といった絵札がどんどん引き寄せられるように集まってくるはずです。超暇ということは、たいてい年齢に不相応な消費をともなわざるをえなくなります。それがまた、ユスリタカリの温床にもなる。男の子ですと万能ジョーカーがありますから、それだけで結構「いい役」に近づいてしまうわけです。
(中略)
逆に、夜七時以降に出歩くことは厳禁という女子高生なら、かなり低い数字でのスカとかブタである可能性が高く、そうすると事件に巻き込まれることはありません。嫌なことは嫌だと言える、夕食は原則として家族が揃って食べる、というような場合は、少年事件に関する限り、どうしても手持ちのカードの数字はかなり低くなります。
(中略)
高い数字でのフルハウスや、とりわけストレートフラッシュやらロイヤルストレートを避けること。これ以外に重大な少年事件の加害者となることから自分の子どもを守る発想は、私には思いつきませんでした。
(中略)
取り返しのつかない悲惨な犯罪の加害者にならないためには、強い組み合わせを早く崩す必要がある
ピンと来た。
誰もが自伝的文章を公開出来る時代、ある環境の元にだけ、「死が多い」。お約束のように彼氏や兄弟、近しい人の死がある。虚言や語りたがりな性別を差し引いたとしても。
似た環境でも真っ当に生きる子と、犯罪を犯してしまう子。有事の際「どうしてこの子だけ」は、誰もが思う事。
そんな時、大体においては環境ありきで、明暗を分けるのはトランプの最後の絵札が揃ってしまうかどうかの問題なんだというと、何だか納得がいく。
最後の1枚が揃うかどうかは、運でもある。
だけど、そもそもリーチまで行かせないという防ぎ方は、確かにあるのだ。
+ 久々に前の仕事仲間と呑みに行く
普段よく遊ぶ友達は学生時代からの友達。
こちらの友達は主婦だったり親同居だったり生活スタイルが全く違っても、感性がピッタリ合う。
だけど仕事先で知り合った友達は、生活スタイルの方がピッタリ合って、なんだか可笑しかった。
テレビで見るものがなくて、洋ドラをレンタルしまくってるとか。
最近は高架下の土手焼きが美味しい飲み屋によく行くだとか。
利用し始めた公共サービスの事、やり始めたボランティアの事。
3人とも偶然前日まで出張でニアミスしてた事とか。
新幹線の中で呑むビールとオツマミの考察とか駅ナカの美味しいお店とか。
ちなみに昨日のメンバーの最年少アイちゃんは最年少らしく、「500ml缶買うの恥ずかしいんですよね~。いいんですかね?買っても」と言う姿が初々しく。
だからといって350缶を2本呑んでたら一緒なのにね
+ 椅子がこわい【夏樹静子】
その年齢まで作家を続けると、作家であるという事が自分の魂の一部、しいては身体の一部にさえなってしまうのだろう。
心の中での葛藤が、リアルの身体にリアルな痛みまで発生させる。佐藤愛子じゃないけど何だか年齢を重ねると人間も精霊じみてくるというか、しっぽが七つに裂けた存在になってくるのかと、そんなことを考えながら読んでしまった。
仕事がしたいのに腰が痛い。腰さえ何とかなればもっと仕事が出来るのに!と3年に渡って骨身を惜しまず形振り構わず西洋医学・東洋医学・民間療法・心霊治療と走り回っていながら、その実、犯人は「仕事が怖いから腰が痛いという症状を出しておこう」という内なる自分。
いつも何かしら抱え込んでいる友人が居る。
拒食で心療内科に通ったかと思えば、痩せすぎで骨が痛くて座れないから事務職は無理だといきなり肉体労働職に就き、やはり身体が持たず2~3年静養。静養中にポチャ子さんになってしまい今度は醜形恐怖。と同時に宗教に填り、ヨガに填り、断食に填り栄養失調。今度はロハスだか何だかに填っている。
いつも壁の方向を選んで猪突猛進してはぶつかっている。
犯人は、世の中に対する恐怖心なのか、「あなたはもう大丈夫ね」と言われることへの恐れなのか。猛進したいがスタミナがないのが分かっているから止る言い訳を探しているのか、本人も壁が嫌いな筈なのに、内なる自分が人生かけてピッタリと寄り添い監視し、壁へのダッシュを繰り返させるのだ。
勿論この特性は自分にもあり、長いレンジで見ると全ての人が対峙している壁は自分自身なのかも知れないけど。
自分にぴったりとひっついてくる疫病神。
それだけでもやっかいなのに、それが自分だったというオチ。
皮肉だなぁと思う反面、人間の心の力に少し力づけられた。
+ 純平、考え直せ【奥田英朗】
やくざものや、不良もののフィクションは基本的に好きではないのだけど、題名と純平のキャラで微笑ましく読ませてもらった。
滅茶苦茶で調子に乗ってても芯は通ってて、決める所は決めて、それなりの名場面や名言を残すあたり、基本に忠実な良い話だなぁと思う。安心して読める。
ラストの方のおじいちゃん名言ラッシュがなかなか良くてね。
「たとえば、さあ殺せ、と大の字になるヤカラがいる。しかしそのヤカラは、自分に殺されるだけの価値がないことを知っていてやっているに過ぎない。向こうだって内心、こんな奴を殺してもしょうがないと思っている。それを当人は知っている。本当に価値のある人間は開き直ったりはしない。開き直るのはいつも誰からも頼りにされていない価値の低い人間だ(P240)」
「若いと大変だなぁ。成功体験が乏しいから、待つことを知らない。今しか見えない。待った先に何があるかわからない。ああ、青春は面倒だ。もう一回やれと言われても、ぼくはいやだ(P242)」
若いモンが「待てない」のは成功体験云々ではなく、単純に体感時間の差だと思うのだが(小学生だった時の1ヶ月と大人になってからの1ヶ月の長さの差といったら!)、「経験が少ないから今しか見えないんだよ」という言い方をされると、なんだか上手く諭されてしまう。
表紙は・・・今中信一さんという方なのか?
なんか青臭くて痛々しくて、生意気なコワッパ感がとても良い。タイトルも少しMSゴシックぽくてネットの書き込みのシーンを思い出させる。
タイトルが「考え直せ」だからって考え直す方がリアリティがなく、「考え直せ」と言ってくれる人間が周囲に居た事の方が大事なんだよな。
+ ポリティコン【桐野夏生】
- 老人問題だとか産業としての農業の難しさだとか、外国人妻だとか、あらゆる格差だとか、脱北だとか祖国だとか、色んな難しいファクターがあったにも拘わらず、テーマは人間臭い主人公トイチをユートピアに放り込んで、トイチという人を浮き彫りにする事だったんじゃないかな。
だから感想としては「トイチうざい。」(笑)
- 身よりのない美人女子高生に「学費を出してやるから、オレと付き合え」と一筆書かせて処女ゲッチュしたり、夫の元から逃げて来た身よりと国籍のない外国人妻達に関係を迫って、うち一人を妊娠させて苦悩したり。
携帯電話を押しつけて恩着せたり、自分が無理強いしてる関係のくせに電話がなかったら怒ったり、拒まれるとヤクザに売り、トイチの愛は愛じゃない。ただの性欲で迷惑なものだ。
物語の始めでトイチが去勢しとけば、みんな平和に暮らせたのになーなんて思いつつ、でもトイチの村が発展した原動力は男の性欲と出世欲だったから、トイチやトイチ父が紳士だったなら村は人知れずひっそりと上品に消えていったのだろうなとも思い。ああ、そういう意味で男とは偉いのか・・・と。- 私の中ではトイチ→加害者・独裁者、マヤ→被害者なのに、二人でまた一つの国を作ってしまおうという申し出をマヤが受けたラストにドン引きすると共に、リアルさと器の大きさを見た気もする。
登場人物の平均年齢が高いせいか、全員が泥臭い。私なら耐えられない村だ。
で、登場人物がみんな濃い。
良くも悪くもモヤモヤが残った本だった。
+ 対岸の彼女 【角田光代】
- 「女ともだち」 を読んだ後だったので、少し不安だったが、とても面白かった。
帯のキャッチコピーが、「独身のバリキャリ VS パート子持ち主婦。負組VS勝組で"対岸"。間には深い川が流れてて、お互い羨望を以て眺めるだけで歩み寄れない」的なものだったが、全然違った。
この本のは負組勝組、独身既婚、子持ち非子持ちの対立という意味での対岸ではなくて、元々人間関係に臆病で「他者」との距離感が難しい、他人全般としての「対岸」ではないだろうか?
私的には
魅力的なナナコがどんな少女なのか、どういう人生を送るのか。
最初は小夜子的性格だった葵が何をキッカケにナナコ的キャラになるのか、子供時代の臆病な葵は葵の中でどう処理され、今の葵の中にどう残っているのか。
普通の30代女性代表とも言える立ち位置の小夜子は、どうやって自分の人生を切り開いていくのか。
・・・・・・悪趣味だが好きな人の過去や脳内、私生活を覗き見るようで、知っていくうちに余計に親しみが沸き、作者が彼女たちにどんな人生を用意しているのか、ただただそれを知りたくて読み進んだ。
肝心の「対岸」については、いまいちリアルな感覚を持てなかった。
ここに書かれてある「女の醜い争いの世界」を私は知らない。自他共に理不尽な苛めには直球で戦い、それが通る世界で育ってしまった。幼い日に歌手になる漫画家になると夢を語った友達とは今でも親友で、正直「興信所ででも調べてナナコに会いに行こうよ!」と思ってしまう脳天気な自分が居る。
最後の対岸に渡る橋に向かう小夜子のシーンでも、感動したが、少しじれったさを感じたりして。
ところで。
掃除屋さんって当たり外れがありすぎて怖くて頼めない。雇い手側にさえ「女なら誰にだって出来る」という先入観があるのか、某有名ドーナツ会社に頼んで、訓練も何もない多分私よりも家事知識のない人が来て、生ぬるい仕事と取り返しのつかないミスをして帰られた事がある。
小夜子が来てくれるのなら、是非掃除屋さんを頼みたいと思うよホントに。
+ シューカツ! 【石田衣良】
- いきなり脱線するが、自分が婚活で苦しんだ原因が少し分かった気がした。
そういえば私は新卒でド三流ブラック業界の技術職にコネ入社したから、シューカツを経験していないんだ。- 普通の人は、試験の点数(努力)だけではどうしようもなく、運や狡猾さやコネや好みさえ込みで人生を決められてしまうような理不尽な経験を、就職時にしてるんだな。
「シューカツ!」のタイトルの通り、大学生の就職活動を明るく前向きにキャッチーに扱ったサワヤカな青春小説だ。
優等生あり、ミスキャンバスの女子アナあり、脱落してニートになる者あり、凡人代表あり、各種の学生を取りそろえた男女7人の就活1年間。
希望就職先はテレビ局と大手出版社。大学は早稲田がモデル。基本、恵まれた子たちによる勝算たっぷりで夢一杯な戦だ。そしてNHKドラマのように本人のサワヤカな努力と周囲の愛情と神懸かり的な主人公補正によって大団円。
主人公の悩みや成長、就活の現状、何より石田衣良の思う所が綺麗に描かれていて、いつもながらに直球で頭の良い人だなぁと思う。
・・・・・・だけど自分がシューカツしてたら、腹が立って読めなかっただろうな(笑)なんてゆーか、悩みや、ぶち当たる壁でさえも明るくて清々しすぎて教訓的で。
シューカツをこれから体験する人、体験している人で、心穏やかにこの本を読める人は心が広く賢い人だと思う。
中学生時代にNHKドラマ中学生日記を普通に見れた人だろう。
だけどシューカツを体験していない人、シューカツを体験して随分経ってしまった人が読むのなら、やっぱりこういう教科書的な、綺麗事な小説が一番良い形なのだろうな・・・・・・・と思いながら読んでました。