around the secret -4ページ目

+ やわらかなレタス【江國 香織】

 面白かった。
 エッセイを読んだ時の面白さは、結局はその人を好きか嫌いか、その人の事を知りたいか知りたくないか。
 作家さんの初読がいきなりエッセイだったのは失敗だった。ちゃんと調べて読めば良かった(^^;;
 
 それでも丁寧な良い文章だなぁと思った。女性に似合わず言動が理屈っぽくて面白い。
 「フランスパンはその日のうちに食べる事」という家庭内規則を守る為に、夜中に台所で黙々とフランスパンを立ち食いする姉妹(いい大人だ)。それに協力する両親。笑っちゃうけど心温まる。

 同じ上記行動でもそれを好もしく思えるのは文章の安定性と、全体的に感じられる知的水準の高さ故だろう。つまり、とりあえずはこの人が好きになったということ。
 多分、山田悠介あたりが上記内容を書いていたら「夜中に台所でフランスパンを黙々と立ち食いだぁ?一家揃って頭沸いてんじゃねぇの?」くらい思ったかも(笑)
 
 食べ物の描写がとても美味しそうで丁寧。

 アボガドのポタージュ、作ってみよう。ピーターラビット、読み返してみよう。

+ 女ともだち【角田光代、井上荒野、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美】

 ダメだ。登場人物の誰とも友達になれる気がしない。


 登場する30前の派遣女性たちに、「スイーツ(笑)」という言葉しか浮かばなくて、もちろんこの小説内ではアラサーの登場人物も「女子」という呼称なんだろうなと思ったり。


 短編集、揃いも揃って派遣社員の設定が、大した能力がなくて、社会的弱者、自分探し中の腰掛け労働者。社員は根性悪で派遣をすべからくバカにして冷たく当たるのが基本というのも、何か変なドラマでも見たんか?派遣で働いた事あるんか?というほど薄っぺらい(多分、女子社員はピンクの制服を着て給湯室でセクハラ上司の悪口でも言っているのだろう)。
 そもそもアラサー派遣女子のアンソロジーである必然性もなさそうな半端な内容に思えるのだが。


 角田光代作品除いて、登場人物がアラサーにしては小娘のように未熟で、それを肯定的に描いた、ふわっと感というか、生ぬくい人肌感というか、一種、弛緩したような状態を見せつけられるのが私には気持ち悪かったのだろうな。

+ 魔法少女 まどか☆マギカ

 面白かった(T_T)鋼の錬金術師以来。

 笑ゥせぇるすまんの腹黒さとシニカルさ、少女革命ウテナの不条理さとヒーロー・ヒロイン冷遇、エヴァンゲリオンの話題性と考察の楽しみが混ざったような良作だった。
 魔物と戦う魔法少女の物語ではなく、主人公を魔法少女に「しない」ための物語だといういう辺りの変化球も面白い。


 ツンデレの暁美ほむらが「実は一番の味方」なのも分かるし、QBは可愛く見えて瞳孔が開いてるからきっと喪黒福造。ほむらに敵対するマミさんはお亡くなりになるまで悪役だと思ってた。含み笑いが腹黒っぽく見えた。


 瞳の描き方がアナログっぽくて面白いなと、ロングになった時の顔の略し方が大胆だなと思いながら鑑賞。美少女ヒロインがパタリロみたいな顔になってるし。

 でも、2話までのペースで続いていたら、最後まで見なかったと思う。


 3話でマミさんが頭を食いちぎられるシーンから虚淵の鬱脚本が効いてきて、漸く大人のブラックファンタジーとしてのテーマや葛藤が見えて面白くなってくる。


 マミさんは大人っぽさと脆さが魅力だったし、杏子の成熟したキャラと天涯孤独っぷりも「魔法少女に相応しい」。

 みんなそれぞれ魅力的だったけど、私は凡人代表ともいえる人魚姫役サヤカに感情移入してしまった。


 幼なじみの幸せを祈ったサヤカのどこが間違いだったのだろう?この作品のテーマ、なんで「祈りで始まったものはやがて呪いになる」んだろう?

 経験的には身に覚えがありすぎる話だけど、「善行は見返りを期待してするものではない」とか「無償の愛」的な綺麗事の理屈が本当だとしたら、祈りは祈りのまま終れる筈。


 やっぱり人間は「与え続けられるほど、タフじゃない」んじゃないかなぁ。


 そもそも14や15の少女の年齢で、命(死ぬまで戦い続けること)と引き替えに一生の御願いをするというのが無理難題なのだろう。
 それは子供の頃クリスマスに願った一生の御願いのプレゼントを大人になっても命をかけて守り続けろというのと同じことだ。いや、幾つになっても「"自分"と引き替えにした一生の御願い」というのは、綺麗には終われないのだろう。
 その点、事故で死にかけている時に、命と引き替えに命を貰ったマミさんの設定は上手いな。



 叶わない夢もある。努力しても無理なものは無理。力のない善意は力のある悪意に負ける。

 ・・・・・・なんだかとても今風の話だ。

 中学生魔法少女のまどかが小学校低学年でも通用する幼児体型・ぷに顔だったのも、今風だ。同じく中学生の美少女戦士のみなさんとはキャラデザが根本的に違う。萌絵はただの萌絵ではなく、萌絵に表現される幼さや無垢さ、舌足らずさはキャラクターの中身でもあるから。

+ 有頂天家族【森見登美彦】

 ・・・・・・面白かった。1ページ1ページ、大事に大事に読んだ。


 京の都に生息する、狸と天狗と人間の話。

 天狗は人間を拐かし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。


 偉大な先代の血を受け継いだ(継ぎ損ねた)タヌキ4兄弟。
 長男矢一郎は偉大なる父から責任感だけを受け継ぎ、ここぞという時には生来の気の小ささを大きすぎる責任感に潰されパニックを起こし、暢気な性格だけを受け継いだ次男矢二郎は、カエルに化けたままウッカリ元の狸の姿に戻れなくなり井戸の中で過ごしてもう数年。
 純真さだけを受け継いだ末弟矢四郎は良い子だけど化けの下手さでは天下一品、特技は携帯電話の充電。「面白きことは良きことなり!」の父の精神を受け継いだ三男矢三郎は、解決より勝ち負けより面白さを追求してしまう為、キレ者の筈なのにイマイチ切れない。

 そしてその「残念な感じの4兄弟」の能力を信じて疑わない肝っ玉母ちゃんは、宝塚ファンのあまり男役に化けて京都の町を闊歩する自称「黒服の王子」。


 もうね、ホント、どうしようもない家族だなぁ。楽しそうだなぁ。


 空飛ぶ茶室で大文字焼きを空から宴会をしながら見たり、扇子で風や雷を操ったり、絶世の美男美女や山や木に化けたり、人間なんか屁でもないような力を持っているのに
 「立派な狸だから、悠々笑って、ミゴト美味しい鍋になってみせる」
ことを潔しとしている狸たち。この辺の感覚って凄いと思う。


 食べる事、自分が自分の大切な人が殺されて食べられる事、死ぬ事、じゃぁ何のために生きるのか、基本的な大事な事の多くが書かれてあったように思う。


 こんな風に、風流に、飄々と生きていけたらいいなぁと狸家族を見ていて、じんわりと暖まった。


 ・・・・・・・最後の方まで海星をヒトデと読み(最初にカイセイとのルビあり)、海星=弁天のオチがあると信じてたわ。

+ 荒川アンダー ザ ブリッジ


 アニメの方を5話ほど見て、挫折。

 カッパの着ぐるみを着て川で生活する自称カッパ男や、豪華ベットのマット下引き出しで寝る美女や、男のシスターや、出てくる人間が全て変人。


 シュール路線なら最後までシュールを貫けばまだ見れるのに、少女漫画レベルで登場人物がイケメンや美女、隙あらば人生語ったり恋愛路線に話を広げてみたりシリアスになったり、なんだか「ワタシってぇーバカやってるけどぉーホントは真面目な女の子なのぉー」的なアレを感じる。


 電波ちゃんも面白い電波ならまだしも、ニノについては美形でなければ、女でなければどうしようもなかったキャラではないかと。

 変わった人間品評会で「はい、ここで笑うのよ」的な半強制的な間を持ちながらも、「え?何がおかしいんだ?これが普通だろう」とスッとぼけるキャラが何とも言えない。出オチと言われる意味がよく分かり。


 前作は設定だけで勝ちが決まっちゃてたもんなぁ・・・・・・・。キリストや仏陀の行動なら、笑いの沸点ダダ下がりだもん。アレは好きだったのになぁ。

+ マボロシの鳥【太田光】

 ファンタジー短編集なのだろうな。
 最初の「茨姫」の数ページを読んで「??」と思う。
 多分この心地悪さは、乙女チックなお姫様話と爆笑問題 太田の顔との食い合わせの悪さが原因ではない筈。なんか滑ってるんだ文章が、内容が。
 2,3編読んで「?????」、一番感動作を持ってくるであろう最後の話を読んだが、「うーーーん?」。

 童話や寓話、時事問題も少し混ぜて、原型が分かる程度にザックリ焼き直したような感じは、翻訳し損ねたタニス・リーみたいだ。


 「ねずみ」は少し面白かった。ヒネた少年は太田の分身なんじゃないかなと思いながら読んだ。少年のブレなさが気持ちいい。
 表題作「マボロシの鳥」も、面白かった。

 
 何かを伝えたくて書いた本なのだろうな。いわゆる自分の「太田魂」を。


 バラエティの司会での天才的にKYなボケが、裸の王様に出てくる子供みたいで好きだ。鬱陶しい似非な雰囲気をブチ壊してくれるどうしようもないギャグなんか最高に気持ち良い。


 だけど、小説世界でのMY World全開は当たり前だものな。その上プロにはそれなりの表現力も身についてる。太田節をそのまま小説でやられても、寧ろ無個性・無主張なくらいなんだ。


 もしかして小説を書くというのは、太田ほどの人にさえ難しい事なのだろうか・・・・・・。
 学生さんを含め素人クリエーターの小説(いわゆるケータイ小説ではなくて)を読んでいても、少し書ける人ならこれ以上のものは余裕で書けてるんだけどなぁ。


 爆笑問題 太田のメッセージとして読むには面白い本だと思う。

+ 四畳半王国見聞録【森見登美彦】


 面白かった。
 途中から大事に大事に読んでいった。

 ・・・・・・んー最近のは、昔ほど面白くない気がしたんだがなぁ。取り消し。

 なんだろ、作中に森見登美彦本人がモテモテ小説家として出て来る辺りがカンに触るのだろうか(笑)


 四畳半神話体系や、走れメロスなどと絡んでいる為、他の本も読み直してみないと堪能出来ていないような気がする。

+ 「裏窓」殺人事件【今邑彩】

 今邑彩3冊目だが、3冊とも古典ミステリに絡み、ちょっとオカルトな部分が入る。この人の持ち味であったか。読んだ中で一番ミステリとして面白かった。

 実は密室などなかったという時間のトリック部分と、連続殺人だと勘違いしたミスリード部分。


 後輩警官の話が少し私の中の勧善懲悪から外れて、歯がゆかった。


 この後輩警官には弟が居て、弟はレイプ被害者を助けた際に犯人に刺され、被害者は助けて貰っておきながら救急車も呼ばず逃げだし、弟は放置の末、亡くなっている。
 犯人を捕まえようにも、助けられた女性は世間体の為にレイプなんかなかった、弟さんも知らないと言い張って犯人像を語ってくれず、捜査が出来ない。


 もう一度供述をしてくれと頼みに行った際、口論になって被害者を殴ってしまい、その後真犯人が来て被害者を殺してしまい、結局この後輩は相手を殺したい程憎んだ「見て見ぬふりで人を助けない」ということを今度は自分がしてしまうのだが・・・。


 踏んだり蹴ったりで可哀想だと思うのは変かな。
 意地悪な人なら、被害者に向けて自業自得 因果応報と言ったかも。


 うわっ1991年の本なのね。

 ここ1,2年の本が読みたい!

+ 私の遺言【佐藤愛子】

 作者が51歳当時に建てた北海道の別荘。


 その別荘での30年に渡るポルターガイスト現象との戦い。


 ラップ音は序の口、電化製品が次々と壊れていったり、物の置き場が変わっていたり、足音がしたり、霊的なものに戦いを挑まれる日々。


 健康被害を起こし霊能者や神学者を頼ってゆくうちに、それが先祖が害したアイヌ達の怨霊であることを知る。

 何故怨霊が未だ成仏出来ないのか、迫害された人達が死して尚苦しまなければいけないのか、どうすれば成仏出来るのか、何故関係のない自分が恨まれなければならないのか・・・・・・それがあの世の仕組みを考えるキッカケになる。


 佐藤愛子が書いたものでなければ読まなかったかも知れない。読んだとしても、軽く読み流していただろうな。

 ○佐藤愛子 ○美輪明宏 ○江原 ○ポルターガイスト現象 ○霊能者達 は、一応分かる。

 だけど、最後の「酒鬼薔薇聖斗 憑依説」以降、恐らく作者の一番伝えたかったことは、よく分からなかった。

 作者が身を以て経験した事の考察は理解したい。でも経験していないものが「そうなんだ」と鵜呑みにするのは、大きすぎる話だ。やはり抵抗がある。


 私はまだまだ若輩者だが、親世代、自分世代、子世代の3世代が分かる年齢になりつつある。

 既に20代の頃から「最近の若いもんは!」と何度思ったか知れないが、これはただの時代の流れで、昔の悪習が浄化されている面も沢山あるように思う。


 若者の凶悪犯罪などと言うが、親世代の田舎での陰湿で原始的な苛めも相当恐ろしい。情で成り立った時代にも闇は存在する。そもそも昔ってそんなに良い時代だったのかな。それはいつの時代?


 日本人の美徳が失われつつあるのも分かる。個人的にそれは「お金を稼ぐ事だけが偉い」という風潮の元、育児や家庭が疎かになった結果だとは思うが、それは新たなる時代への試行錯誤なのではないだろうか?


 私達は戦争で生きていくのに精一杯だった世代でもない。
 好景気で夢一杯の世代でもない。食べるに困らない程度に裕福で暇で、だけど将来にはもう夢がなく、右肩下がりが約束された時代だ。

 このフィールドでこの時代に産まれ、霊的なものが見えない状態で生かされているのだから、超能力のようなウルトラCの使い手に導かれなくてもこの地道な悪あがきこそが学びなのだと思う。
 多分、ダメになったり立ち直ったり大きな過ちを侵しながらも、私たちの子孫もそれなりにダメにならずに生ききってくれる。


 ま、私はうちの一族の中では落ちこぼれ組なので、何の期待もされていないだろうし、干渉もされないだろう。


 ただ、将来、母親の介護で報われない想いを沢山する予定だ。
 その時の為に、この言葉を取っておこうと思う。

「自分一人がなぜこんな目に遭うのかと腹が立つことがあっても、これが自分に課せられたカルマだと思うと諦めがつく」

+ 三回忌が過ぎた。

 最近の病院では手術や大きい治療の予定がない患者は、退院させられるものらしい。


 ・・・・・・と書くと当然のようだが、手術後、口から食べ物を食べれない、自力で歩けない状態で、父は退院させられた。

 一日3日、近くの町医者に点滴に通うのだそうだが、歩くのは疎か立つのもままならない状態、ベットから玄関に出るのも10分はかかっただろう。病院の送迎車に乗るのも、車いすに乗るのも、全てが命を削っているように見える。

 そんな思いで点滴に行っても、皮膚が血管がボロボロで、生きていく為の栄養が定量分入らない日々。


 確かに病院で遠回しに余命は聞いた。ということは退院後は自宅でこうやってすり減って死んでいけということか。
 どうして良いのか分からなくて(何も出来ないのだろう)、自分達はド素人で、誰も頼れなくて、何より肉親の死を受け止め切れていないのに。

 調べたり福祉に相談したりして、在宅ホスピスの点滴と緩和ケアに切り替える。


 ホスピスに切り替えてから亡くなるまでが2ヶ月くらい。手術後の転移が原因だったようだ。開腹手術によって症状が進行するというのは、よくあるのだそうだ。

 点滴に通わなくて良くなったのがとてもプラスで、緩和ケアのおかげで身体も随分楽になったようだ。我慢してくれてたのもあるんだろうな。
 それでも病院ではなく、自宅で、家族と24時間過ごせた時間は良かったと思う。
 
 食道癌なんてそれまで聞いた事がなかったのに、父が亡くなってからよく耳にするようになった。

赤塚不二夫
岡田真澄
藤田まこと
開高健
桑田佳祐
小澤征爾
立川談志
忌野清志郎

 意識がそちらにいくから耳に入るだけかな?という気もするが、やはり実際に増えているような気がする(そして最近ではまた聞かなくなり)。
 父の発症が今だったなら、もしかして食道癌だとすぐ気付けて助かったかも知れないなとも思う。


 父が病気になってからは。
 母を支えないとという想いもあり、父の為に何が出来るかずっと考え、本当に今の病院で、治療法で合っているのかと迷い、今のうちに父と沢山喋っておきたいと題材を探し、だけど元々お互い無口で、会話でのコミニュケーションより、釣りに行ったり畑仕事をしたり、黙々と一緒に何かをする時間が長かったから、いざ喋ろうとしても言葉が出ず。

 父は夜の9時になると睡眠薬を飲んで寝てしまう。だからそれまでに帰らないとと帰宅を急ぎ、手足のマッサージで10分ほどコミニュケーションを取る。


 ブレーキもハンドルもない車に乗って壁に衝突しようとしているような毎日だった。泣いても喚いてもどうにもならない。1秒1秒正確に容赦なく壁はどんどん近づいてくる。出来るだけ壁から目を逸らしたい。いっそ早く壁にぶつかってしまいたい。

 その反面、頭がついていかないのか、父の来年の春のパジャマを揃えたりもしていた。亡くなる日の昼、往診の先生から「あと3日くらい」と言われた時も、「何言ってるの、ホント冗談のセンスがないんだから」と苦笑いをしてしまった。買い物帰りで大根やら長ネギを抱えている自分の姿が変だなぁなんて暢気に考えていた。


 自分の為に「助かった」と思えたのは、先が見えない状態で、大体の頼みを聞いてあげれた事。いや、私が叶えてあげれるような頼み事を、わざとしてくれたんだろうな。

 亡くなる前の夜、私は会社から疲れて帰って、食事前に軽く手足をマッサージしてあげた。それが終わり食卓についた後、もう一度呼ばれて、手を出された。握手?起き上がりたいのかな?色々「?」マークが浮かんだ後、取りあえずマッサージしてあげると笑ってくれた。あの時、冷たくしなくて良かったと心底思う。あの時もし「今日は勘弁してや」とか言っていたら一生後悔した。まさかあれが最後になると思わなかったから、私の頭の中では絶対に亡くならないと思ってたから、それは有り得る事で。そのことだけは神様に感謝出来る。


 葬儀場で父の名前がデカデカと書かれている時、焼き場で遺骨を見る時は、とても変な感じがした。悲しいというより違和感だった。

 焼き場に行くのが恐怖だった。親を焼くのだ。父の兄弟が「お葬式をした勢いでないと、焼き場になんて行けない。うまいことなってる」と言った。その通りだと思った。


 亡くなってから3年ほど経った今でも、断腸の思いだとか強烈な悲しみというより違和感の方が強い。
 一人暮らし歴が長かったからだろうか?単に遠くに居るだけのよう気がしている。そういえば私は死後の世界を信じているから、あながち外れていないかも知れない。

 病気で苦しんで弱っていた父が、元気になって遠くに行ったような、亡くなったことによって病が治ったような気がしている。